愛は「想う気持ち」
それはおそらく、自発的なものなのでしょう
自分を満たしてくれるから
自分の為に何かを引き受けてくれるから愛する
などという
受動的なものではなく
愛するに値する条件に適うから
愛するというものでもなく
その存在と相対しさえすれば
自然と湧き出る愛しむ想いこそが
愛なのでは
愛が自発的なものであるならば
そこに先ず、
「自分自身」が確かにそこに居なければ
「想い」があったとしても
それは未熟な愛に過ぎません
相手のためにと思い巡らし自分を捧げ
自分の気持ちも意思も考えも
後回しにしていたら
自己を見失い
やがて愛の泉は渇れてしまいます
自分自身を取り戻すせるように
「一見与えていないようでいても、
心の限りの全てを与え尽くしていたのよ」と
声にしてみてもいいのかもしれません
愛を取り戻すには
相手が望んだ通りの言葉でなくとも
恐れずにありのままの自己を表現した方が
良いのかもしれません